2016年7月12日火曜日

永六輔さんの思い出



永六輔さんが亡くなった。
ご実家が浄土真宗のお寺でらっしゃるから
冥福という言葉は失礼かもしれない。
謹んで哀悼の意を表します。
南無阿弥陀仏。合掌。

日本の大衆文化を牽引されてきた
芸能界・放送界の巨星である
永さんには、直接お目にかかったことがある。

強烈な思い出なので、ご紹介したい。

自分で描いた風刺漫画を紙芝居にし、
ライブで語るという芸を始めたのが
2011年の春先のことだった。

四谷の小さなライブハウスで行われる
月に一度の落語会が、ワタシの研鑽の場となった。
二つ目とはいえ、プロの落語家さんに交じって
客前に立って話芸を披露する体験は緊張の連続。
机の前で絵を描いているのとは大違い。
笑いを誘うはずが、反応がない。
思ったように展開していかない。

自分の作品で笑ってくれる読者の顔を
目の前で直接見たくて始めた紙芝居だったけど
あらためて人前で芸を披露することの
大変さを思い知ることとなった。

ところが、この客席に、永さんが現れたのだ
ワタシにとってまだ生涯二度目のステージ。
しかも、あろうことか最前列にどっかとお座りになった。


登板二試合目でいきなりバッターボックスに
伝説の大打者を迎えた高校球児の心境だ。
緊張で頭の中が真っ白。
なので、正直言うと、どんな展開になったか、
さっぱり記憶がない。

きっと、用意したネタがちっともストライクゾーンに入らず
簡単にフォアボールになって、
そのままマウンドを降りてしまった感じだろうか。

休憩のあと、この会の主催で放送作家のベテラン
奥山コーシン先生に促されて
永さんご本人が舞台に立たれた。
実はパーキンソン病の治療中で、
もし調子が良ければ、復帰に向けて
リハビリに漫談を披露するという話だったようだ。

ということはワタシのつたない芸が
舞台のハードルを下げて、
永さんの出演を促したということか(笑)


永さんが闘病中に起こったさまざまな「事件」を
自虐をからめながら面白おかしく語る
その話芸は、さすが大御所の貫禄。
客席はクスクス笑いから、やがて爆笑の渦に。
永さんが休養中でないと、いや
休養中だからこそのレアなステージ。
お客さんにとっては嬉しいハプニングになった。

まさに「ライブ」ならでは、
なにが起こるかわからない、
これこそ生の舞台の醍醐味。

いつかきっと、ワタシも永さんみたいに
お客の心をガッチリつかんで、楽しませてみたい、
僭越ながらそう心で誓った一夜だった。

そんな貴重で得難い勉強をさせてもらった
永さん、ありがとうございます。












0 件のコメント:

コメントを投稿