2017年4月30日日曜日

トホ宝・空海さん

 
頭の部分がすげ替えられている。
おそらく長年の風雪によって、
首がおっこちちゃったので
気の毒だと思った信者か誰かが
セメントなどで修理したのだと思う。
だけど、ちょっとちょっと。
あまりにトホホな出来じゃない?

↑つい、思い出しちゃった。

この石像は首が落ちる前は
どんなお顔だったのだろう。
そもそもこれはお地蔵さま?
いや違う。
これはお大師さま。弘法大師。
つまり、空海さんなのだ。

なんでわかるかというと、
この石像は、空海上人のトレードマークである
三鈷杵を胸元に持っているのが判別できる。


鬱蒼とした木の茂る米子城址には
「城山大師」と呼ばれる空海上人の石像が
中腹の遊歩道にそって、八十八か所設置されている。
お遍路さんで知られる
四国八十八か所霊場の
いわゆる写し霊場なのだ。

だけど、修復された後は
とても同一人物とは思えない。
トホホ・・・。





ていうか修復者は、
空海さんだと理解してたのかね?

もともとこの空海さんの石像が
作られたのは大正時代だ。
安達弁市さんというお蕎麦屋さんが失明し、
奥さんと義妹に手を引かれ
回復を願って、四国遍路の旅に出たそうな。
すると、四国最南端の足摺岬を巡礼中、
突如目が見えるようになった。
(第38番札所 金剛福寺)
この奇跡を聞きつけた米子の庶民の中で
あやかりたいという機運が高まった。
  手近なところで四国札所巡りが出来るようにと
寄付が集まり、米子城山で写し霊場つくりが始まった。
四国の札所にならって、弘法大師とそのお寺のご本尊の
二仏一対を米子城山にそれぞれ建立していった。
それに際して関係者がわざわざ四国に出向いて、
各寺院の現地の土や石を持ち帰って
石仏の下に埋めたというから
当時の米子庶民の意気込みがうかがえる。

ところが、残念なことに
軟らかい来待石で彫刻したために風化が早かった。
数十年で次々お大師さまの首が落ちる事態に。
後世、修復作業が行われたようなのだが・・・。
トホホなことになって今にいたるわけだ。
これはもともと宗教法人の事業ではなく、
市民の発案・自主建立という
住民運動のような流れだったので
おそらく真言宗の本山とか仏教専門家の
ちゃんとした指導を仰がずにやっちゃったんだろう。
米子人にありがちなテキトー、
いい加減さ全開というわけだ。
でも、この霊場を守り育てる活動を
今も真摯にコツコツ続けている
「城山大師維持奉仕会」という
市民のボランティア団体も
修復を特に問題視している気配はなく
むしろ温かく許容されているようでもあり、
それも含め、愛嬌があって
ワタシは好きだ。

米子のトホ宝として愛そうと思う。

ここに紹介した「トホ宝・空海さん」は
ほんの一部なので、
機会があればみなさんもゼヒ巡って
愛すべきトホホ感を味わってみてください。





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