2016年6月18日土曜日

河童と地蔵の住む町


米子市内を流れる加茂川。
きっちり護岸整備されていて、川というより用水路。
ここに河童が住んでいた!

いやいや、そう言われても
ちょっと想像しにくいかもしれない。

だいいち米子城のおひざ元だから
江戸時代にしたって商用船が行き来したり、
染物流しに使われてたりして
けっこうにぎやかな城下町のはずだ。
とても、河童が現れる風情ではない。

だけど、ひとたび大雨になれば
この川は暴れ川と化したらしい。
上流から溺れ死んだ遺体が流れ着くこともしばしば。

今でも、川岸のいたるところに
お地蔵さんが並んでいて、
米子の見どころになっているが
実は洪水被害の名残なのだという。

交通事故現場の道端に、
花が供えてあったりするが、
そのハシリといっていいかもしれない。

さて、そこで、この写真。
実は加茂川の中でも、
もっとも危険な場所だったようだ。

行き止まりのように見えるが、画面右側が上流。
川は画面中央で直角に向きを変えて
画面手前に流れてくる。
護岸が施される前、ここは激流が渦を巻き、
川底は5メートルもの深さがあったというから驚きだ。

だから、ここに河童がいたというわけだ。
子供たちを近寄らせないために大人たちは

「あそこは河童のすみかだ、
近寄ったら水の中に引きずり込まれ
尻こだまを抜かれるぞ」
と語って聞かせた。
恐れをなした子供は、近寄らない。
つまり、効果的な水難予防策が
河童伝説だったというわけだ。




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