「七人の侍」といえば、
史上最高にして最強の日本映画。
デジタル処理されて蘇ったこの作品を
最近、映画館で観た。
野武士の集団に狙われた農村が
浪人侍を雇って自衛する、
あまりにも有名なストーリー。
ところが黒沢明監督が参考にした史実が
じつは鳥取県が舞台なんだとか。
鳥取県人なのに、ワタシは、最近になって
この情報を知って、今さらながら
ワクワクドキドキしている。
用心棒8人分の費用24石のほか、
「城ごしらえ」用の防護柵や堀など、
村の防衛に使った費用が記載されている
「因幡国智土師郷上村結解状」
(1342年)という古文書がそれで、
横浜市の金沢文庫に収蔵されているらしい。
この古文書を、黒沢明監督はじめ
「七人の侍」シナリオ陣が読んで、参考にし
あの奇想天外、だけれども超リアルな
ドラマを生み出したということらしい。
でも、ワタシがワクワクしてるのは
そのことだけではないんだな。
七人の侍の内でもっとも腕の立つ、
最強の武士・久蔵をご存じだろうか。
「自分を叩き上げる、それだけに凝り固まった奴 (勘兵衛・談)」
小柄で細身だが剣はめっぽう強い。
この久蔵のモデルになった人物が
米子と関係あるかもしれない。
剣豪と呼ばれるサムライはいろいろいるけど、
実在した中で有名なのは柳生宗矩。
なにしろ家康に召し抱えられ、
家光の時代には指南役、
やがて腕一本で大名にまでのぼりつめた唯一の存在。
つまり戦国時代で最強の剣豪?
ところが、この宗矩には、めっぽう強い兄・宗章がいた。
弟の宗矩とともに徳川家康に召されたが
なんと仕官を断ったという。
その理由が、武者修行!
まさに「自分を叩き上げる、それだけに凝り固まった奴」ではないか。
この宗章、武者修行の末、
たどり着いたのが米子城だったのだ。
執政家老・横田内膳に乞われて
食客として仕える事になったのだが、
ここも、勘兵衛の人柄に惹かれて
同道を決めた久蔵と似ている。
しかも、宗章は米子城で壮絶な最後を迎える。
七人の侍のエピソードそっくりに、
日本刀を抜き身にして
数本地面に付き刺し、襲いかかる敵軍を
吹雪の中バッタバッタと斬り倒した。
最後は刀折れ、戦死したが
斬り倒した敵兵の数は18名!
映画以上にすさまじいシーンではないか。
実在した剣豪と滅びの美学。
く~!! しびれる。
映画を撮るために、リアルな設定を求めて
史実を読み漁っていたという黒沢明監督とシナリオ陣が
舞台のモデルとなった、おなじ鳥取の
この「米子城騒動」を参考にした、というのは
あながち突飛な連想ではないと思う。
そのうち、エレキ紙芝居にしようかな。
もちろん、痛快時代劇、講談調で!