2016年12月26日月曜日

クリスマスの翌日



米子駅前のホテルの玄関。
きのうまでクリスマスの洋風ムードが
がらっと和風な空気に。

山陰は日本の中で最も
四季の移り変わりがはっきりした地域だと、
常々思っているのだが
・・・さすがだ。


「恋ダンス」米子の記事


山陰中央新報(2016/12/26)に
「米子は元気」メッセージをのせた
「恋ダンス」動画が紹介されました!
観てくれる人が増えると嬉しいです~




2016年12月24日土曜日

ブラック・サンタ


ブラック・サンタは
悪ガキを懲らしめる、なまはげ的存在。
くつしたにプレゼントのかわりに
石炭を入れるらしい。

ドイツなどヨーロッパ各地に
風習があるそうな。

米子で、はやらせたいので、
誰か呼んでくれませんか。

次の問題に不正解したら
石炭をぶちまけます。

<第一問>
サンタクロースのモデル、
セント・ニコラウスは
どこの出身でしょう。

1. フィンランド
2. イタリア
3. カナダ

<第二問>
キリストとサンタクロースは
どういう関係は?

1. 親戚
2. 信者
3. 同級生

<第三問>
クリスマスはなんの日?

1. サンタクロースの誕生日
2. キリストの誕生日
3. 仏陀の誕生日

正解できねぇ奴はいねえが~!?





2016年12月18日日曜日

霊峰


忘年会で関金温泉に一泊した。
朝、二日酔いをさますような青空。
遠くの白い山が、大山。

米子から大山を見るのと、
ちょうど対角線の反対側から見た感じ。

米子から見ると頂上部が平たい富士山型だけど、
こっちからみると、とんがって見えるんだね。
一番高いところが剣ヶ峰。

霊峰という感じがするねえ。
遥拝。


余芸大会




「市民余芸大会」というイベントがあった。
毎年恒例、歳末募金のチャリティーショー。
歌や踊りなど様々な出し物に
会場の米子市公会堂は
びっくりするくらい大入り。

オオトリは市長一座のお芝居。
今年は「大山開山1300年祭の物語」
野坂康夫米子市長自ら、
大山を開山した金蓮上人を熱演。

鳥取県は平井伸治知事を筆頭に
行政のトップのノリが軽いので助かる。
案内役として出演した
エレキ紙芝居師との
夢のコラボ
が実現。

2016年12月2日金曜日

国宝・童子切安綱


最近、この日本刀のことが気になってしょうがない。

東京国立博物館の所蔵品で
国宝展で見た覚えがある。
千年以上前に製造された刀なのに、
ビッカピッカ。
信じられない美しさ。

指定第一号の国宝で、
最古級の日本刀であり
すべての日本刀の最高峰とされる。

どうじ きり やすつな
と読む。

童子(どうじ)は、酒呑童子の事。
平安末期、大江山に住み着き、乱暴狼藉で
都を震え上がらせた盗賊の頭目。
無類の酒好きだったことから、
この名で呼ばれたそうな。

討伐の勅命を受けた源頼光が
その首を落とすのに使った
なので、童子切(きり)。

安綱(やすつな)は
この刀を作った名匠の銘。

酒呑童子討伐物語は
「大江山」と呼ばれ
歌舞伎や謡曲などで
昔から繰り返し演じられてきた。
明治の頃まで、日本人なら
誰もが良く知るストーリーだったようだ。

でも、鬼になったり、切り落とされた首が
頼光の兜にかみついたりして
かなりエンターテイメントに脚色されている。
名前の由来はマユツバものだ。

でも、その伝説をまとうこの日本刀自体は
「ザ・日本刀」
「キング・オブ日本刀」
と言っていいほど、凄みと美しさを身にまとう
問答無用の名刀。

まず実力がハンパない。

江戸時代、津山松平家に渡ったとき
町田長太夫という剣の達人が、
死体を六体重ねて試し斬りをしたところ
この世のものとは思えない切れ味で
一気に切断できたという。

確かめようがないけど、
ただの美術品とは一線を画す
なんとも震え上がるような
エピソードではないか。

もっとすごいのが、来歴だ。

足利将軍家が代々所有し、
15代義昭の時、豊臣秀吉に渡り、
その後、徳川家康、秀忠と受け継がれたそうな。

いわば、天下取りのアイテムだったわけだ。

でも途中、秀吉は手元に置くのを嫌って
刀剣の鑑定や研磨を家業とする
本阿弥家に預けてたという。

つまり、秀吉がビビるくらい
場合によっては、所有者に
災いをもたらす、「魔剣」「妖刀」という
負の側面もあったかもしれない。


さて、この刀をつくった安綱なんだけど、
直刀が主流だった日本の刀剣に
はじめて「反り」を導入した刀工なんだって。
つまり、世界の刀剣の中で
独特の形状を持つ
いわゆる日本刀は、
安綱が始祖ということになる。


そしてこの安綱は
古くよりたたら製鉄の地であった
日野川近く、伯耆大山のふもと、
大原という地で刀工集団を率いていた!
なので、伯耆安綱、大原安綱とも呼ばれる。

ううむ。
地元にこんなスゴイ伝説の人物がいたとは。


たまたま、今朝の新聞(12/2・日本海新聞)に
日本刀「童子切安綱」の事が載っていた。



筆者の石村隆男さんは
地元で長く地域おこしに尽力されてきた名士。
記事の見出し
「大山山麓は日本刀発祥の地」
には、この日本刀と刀工に脚光を当てることで
地域活性化の起爆剤になったらいいな、という
思いがヒシヒシ感じられる。

ワタシも同じ思いだ。



2016年11月29日火曜日

七人の侍と鳥取県


「七人の侍」といえば、
史上最高にして最強の日本映画。
デジタル処理されて蘇ったこの作品を
最近、映画館で観た。
 
野武士の集団に狙われた農村が
浪人侍を雇って自衛する、
あまりにも有名なストーリー。

ところが黒沢明監督が参考にした史実が
じつは鳥取県が舞台なんだとか。
鳥取県人なのに、ワタシは、最近になって
この情報を知って、今さらながら
ワクワクドキドキしている。

用心棒8人分の費用24石のほか、
「城ごしらえ」用の防護柵や堀など、
村の防衛に使った費用が記載されている

「因幡国智土師郷上村結解状」
(1342年)という古文書がそれで、
横浜市の金沢文庫に収蔵されているらしい。


この古文書を、黒沢明監督はじめ
「七人の侍」シナリオ陣が読んで、参考にし
あの奇想天外、だけれども超リアルな
ドラマを生み出したということらしい。


でも、ワタシがワクワクしてるのは
そのことだけではないんだな。


七人の侍の内でもっとも腕の立つ、
最強の武士・久蔵をご存じだろうか。

「自分を叩き上げる、それだけに凝り固まった奴 (勘兵衛・談)」
小柄で細身だが剣はめっぽう強い。


この久蔵のモデルになった人物が
米子と関係あるかもしれない。

剣豪と呼ばれるサムライはいろいろいるけど、
実在した中で有名なのは柳生宗矩。
なにしろ家康に召し抱えられ、
家光の時代には指南役、
やがて腕一本で大名にまでのぼりつめた唯一の存在。
つまり戦国時代で最強の剣豪?

ところが、この宗矩には、めっぽう強い兄・宗章がいた。
弟の宗矩とともに徳川家康に召されたが
なんと仕官を断ったという。
その理由が、武者修行!

まさに「自分を叩き上げる、それだけに凝り固まった奴」ではないか。

この宗章、武者修行の末、
たどり着いたのが米子城だったのだ。

執政家老・横田内膳に乞われて 
食客として仕える事になったのだが、
ここも、勘兵衛の人柄に惹かれて
同道を決めた久蔵と似ている。

しかも、宗章は米子城で壮絶な最後を迎える。
七人の侍のエピソードそっくりに、
日本刀を抜き身にして
数本地面に付き刺し、襲いかかる敵軍を
吹雪の中バッタバッタと斬り倒した。
最後は刀折れ、戦死したが
斬り倒した敵兵の数は18名!

映画以上にすさまじいシーンではないか。
実在した剣豪と滅びの美学。
く~!! しびれる。

映画を撮るために、リアルな設定を求めて
史実を読み漁っていたという黒沢明監督とシナリオ陣が
舞台のモデルとなった、おなじ鳥取の
この「米子城騒動」を参考にした、というのは
あながち突飛な連想ではないと思う。

そのうち、エレキ紙芝居にしようかな。
もちろん、痛快時代劇、講談調で!

2016年11月28日月曜日

輪廻転生



輪廻転生(リインカーネーション)は
ホントにあるのだろうか。

昨日、淀江文化センターで開催した
立体音楽絵巻
「縁(えにし)~かみよど宴喜」の
メインテーマのひとつとして
構成したのだった。

演目のひとつ、
インドネシアの民族芸能
ガムラン演奏の最中に

「時間と空間を旅する心地になり
魂が何かをかすかに覚えているような
既視感があった」

という方がいた。

本人しかわからない感覚だが
なんともいえない懐かしさがあって

「ふたたび出会えた」

と、感きわまったんだとか。

それが何に対して、あるいは誰に対してなのか
詳しいことはわからないけど
押し寄せてくる感覚があったようだ。

もし、前世というものがあって、
そこで心底、気を許しあい、
愛し合った相手がいたとする。
すっかり記憶はなくしているのだけれど、
その時感じていた、絶対的な信頼感や安心感が
突如、蘇ったということなんだろうか。
もしかすると、そこに、その人が現れて、
時と空間を超えて、
一緒に過ごしたということになるんだろうか。


数多くの管製打楽器を使用して、
単調な旋律が、繰り返されるガムラン。
最初は音色やハーモニーににおどろき、
やがて夢心地になって
いつまでも、聞いていたいと
いう気分になってゆく。


また機会があったら、
聴いて体験してみたいな。






2016年11月26日土曜日

立体音楽絵巻


いよいよ、明日(11/27)開催!
淀江文化センターで午後1時半開場、2時開演。
入場料 当日1000円

インドネシアの民族音楽 ガムラン演奏
バリ舞踊に、影絵芝居ワヤン・クリ
韓国民俗舞踊 サムルノリ
などなど、めったにみられない舞台芸能目白押し!
まさに立体音楽絵巻!

そして、エレキ紙芝居「玉清姫」を
声優・古原奈々ちゃんと、ライブ上演!

ゼヒお越しください!

2016年11月20日日曜日

むべなるかな


近所のうどん屋さんで
めずらしい果物を食べてみないかと
女店主からすすめられた。

店で時々出くわす常連のおじさんが、
山歩きで採ってきたそうな。

味見させてもらった。

舌の上にほんのり甘い味が広がる。
マスカットみたい。
でも、中には黒くて硬い種が
びっしり入っているので、
非常に食べづらい。

指で口から種を取り出しながら
「これは、あけび?」
と聞いたら、
店主は首を横に振った。
「いや、ん~っと・・・」
採ってきた常連さんから
聞いた名前を思い出せない様子。

それならと、タブレットで
「あけび 似てる」で検索したら
画像が出てきた。

「むべ」

というらしい。

なんでもそのむかし、
天智天皇が狩りに出かけたところ、
八人の子供をもつ、健康長寿の
老夫婦に出くわしたそうな。

そこで健康長寿の秘訣をお尋ねになった。

するとその老夫婦は
「この地で捕れる無病長寿の靈果を
毎年秋に食します」と言いながら
この果実を差し出したので、

天智天皇もその果物を一口食べて

ほほう、むべなるかな」

(もっともであるな)


と、おっしゃったそうな。

以来、この果物を「むべ」と称するようになったとか。


米子には、誤って人魚の肉を食べてしまい
18歳のまま不老不死になって
八百年生きた比丘尼の伝説があるけど、

人魚の肉より、「むべ」の方が
ずっとお手軽でいいな。

不老不死はいろいろ不都合もありそうだけど
健康長寿にはゼヒなりたい。

2016年11月19日土曜日

地上の星


68年ぶりのウルトラ・スーパー・ムーンは
雨で見られんかったです。
ようやく晴れた二日後、
米子城址に登ってみたですがん。

日の入りと月の出がほぼ同時刻の満月と違って
十七夜は月が出るのが1時間も遅いしこです。

日没後、城山の頂上で月の出を
しばし待つことに。
一緒に登った悪友が、用意してごした
燗酒を片手に「城下」を眺めました。

眼下に広がる夜景を見て
中島みゆきの「地上の星」を思い出しましたわ。

「人は空ばかり見てる」
「地上にある星を誰も覚えていない」

そげです、美しい星はなにも
夜空にだけあるだないです。

足元に人が暮らしている証が
こげして広がっちょうですがん。

たかだか15~16万人の小さな地方都市ですが
みんな一生懸命、輝いちょうですわ。

そりゃ、都心の超高層ビルから見下ろした
大東京の夜景に比べてたら、
どげってこと、ないかもしれんけど、

途方に暮れるような光の洪水と違って、
ここから見える夜景は
建物も、道も、通りも、全部
素性がわかりますけんな。

なんか、イトオシイですわ。

遠くにナトリウム灯の列が見える。
へー、江島大橋か。

急こう配で有名になった
「べた踏み坂」もカワイイもんだがん。

なんやかんや、しゃべってたら、
ようやくオレンジ色のお月さんが
低い雲間から、ちょこっと顔を出した。
雲にまみれた姿は、温泉卵みたい。

確かに、ふだんより大きい黄身でした。







2016年11月15日火曜日

ゴロ画伯のげなげな話: ニンジャ・タートル

ゴロ画伯のげなげな話: ニンジャ・タートル: 走り出したら、いきなりフロントガラスに アマガエルが張り付いた。 運転中なので、取り除けない。 愛車は中古の軽で、 明るい黄緑色にコロンとしたフォルム。 駐車場でいつもアマガエルみたいだな~ と思っていたけど、まさか ホンモノが突...

ニンジャ・タートル


走り出したら、いきなりフロントガラスに
アマガエルが張り付いた。
運転中なので、取り除けない。

愛車は中古の軽で、
明るい黄緑色にコロンとしたフォルム。
駐車場でいつもアマガエルみたいだな~
と思っていたけど、まさか
ホンモノが突然現れるとは。

むこうも親ガエルだと思ったのか知らないけど、
突然動き出して、びっくりしたようだ。

あわててジャンプして、視界から消えた。
落ちたら後続車に潰されちゃうぞ!
と、心配する間もなく、
運転席の窓から顔をのぞかせた。
どうやら飛び移って、ドアをよじ登ってきたようだ。


「お前はニンジャ・タートルか!」

運転席からのツッコミは耳に入らなかったろう
さらにアマガエルは吸盤を使って、ガラスをよじ登る。
ワタシの顔の高さまでやってきた。

ほっぺたに張りついているようで
運転中に気になってしょうがない。

信号のない交差点で、一時停止した時
じぶんで飛び降りてくれた。

もうそろそろ冬眠の季節だ。
ウチからは数百メートル離れてしまったけど
また来年、春になったら会いに来ておくれ。










2016年11月11日金曜日

超絶ホーミー


米子で暮らしていると、時々ここは
「山陰の片田舎」なのか?!と驚く。
たとえば世界の巨匠・押井守監督と
間近で接する機会があったり。

ゆうべもそう思った。
米子公会堂にモンゴル初代大統領がいた。
でも、本当に驚いたのはそのことではない。

モンゴル国立馬頭琴交響楽団の
世界最高峰の「ホーミー」を直接体験したのだ。

モンゴルに伝わる驚異の唱法。
ダミ声の太い低音と、笛のような超高音を
喉から同時に出すワザ。
スゴイ、凄過ぎる。
人間の声とは思えない音。
圧倒された。


実はワタシは7~8年くらい前から
ホーミーに興味を持って、
自分でもあの倍音が出せないかと
日々練習するくらい好きなのだ。
いつかかくし芸として披露するのが目標なのだが
なかなか人前でやるほど上達しない。
笛のような音が出るようにはなったが、
蚊が鳴く程度の音量。

ところが、ホンモノ中のホンモノ、
モンゴル国立馬頭琴交響楽団の第一人者の
ホーミーは、とてつもない声量だった。
おおげさでなく、度胆を抜かれた。


しかもアンコールで日本の名曲「ふるさと」を
浪々と歌い上げたのにはたまげた。
喉を極端に緊張させて絞り出すのがホーミー。
なので音程を操るのは至難のワザ。
まさか、ホーミーであんなに
美しくメロディを追えるとは。

気がつくと、ワタシは立ち上がって、
拍手をしていた。
あれ?なんで、みんな立ち上がらないの?
ひとりスタンディングオベーション(汗)

でも、割れんばかりの拍手。
ハンカチで目を押さえている人も多かった。
米子の観客はレスポンスがいい。




2016年10月31日月曜日

石浦新入幕


平成28年九州場所の番付が発表され
鳥取城北高校出身の石浦が新入幕を果たした。
県出身者の入幕は横綱琴桜以来で53年ぶり。

ワタシが小学校低学年のころ、
おじいちゃんがテレビで大相撲中継を
異様な緊張感で観戦していたことがあった。
胡坐をかいた背中が、左右にソワソワ揺れている。

おばあちゃんは立ち上がって
「見ておられん!」と言って
そそくさと表に出て行ってしまった。

普段と全く違う二人の様子を見て、
ワタシはこどもながらに、テレビの向こうで
なにが起こっているんだろうと
不思議だった。

それが、横綱昇進をかけた地元出身の
大関・琴桜と
横綱北の富士との優勝決定戦だったのだ。

その時は、その一番がどんな意味があって
どんな価値を持つのか
さっぱりわからなかった。

でも、今となってみると、
ワタシにとって人生初の相撲観戦が
その一番だということが誇らしい。

なにしろ日本一人口の少ない県から
横綱が生まれる奇跡の瞬間を目撃したのだ。

それから半世紀。
鳥取県人の悲願、琴桜以来の幕内力士が誕生した。
実にウレシイ(涙)

この快挙を祝って、きょう、鳥取市内で
県庁から駅前までパレードが行われた。
なんと横綱・白鵬が同道した。
そりゃ、他県の人からみたら、たかだか新入幕に
なんて大げさな、と思われるかもしれないが、
そもそもこのパレード、
石浦の宮城野部屋の兄弟子にあたる
白鵬が言い出して実現したらしい。
ケガで低迷していた山口
(元・大喜鵬、鳥取城北出身)
復帰し再十両をはたしたので、
このパレードにいっしょに参加させてもらったとか。
なんとアリガタイ(涙)
県民として横綱に幾重も頭を下げてお礼を言いたい。

だからといって石浦に横綱になってほしいとは言わないが
相撲通の記憶に残るような名力士になってほしいな。

小さな体で上位の強豪や巨漢力士を
キリキリ舞いさせる、技能相撲。
「山椒は小粒でも、ぴりりと辛い」
それこそ鳥取県を地で行く
ような相撲がゼヒ見たい!







2016年10月30日日曜日

最終回


10月も終わり。
ワタシの大好きな、BAR大正蔵酒場も
来年の夏まで閉店。
5月~10月の金曜日の夜だけ
オープンするという変わった酒場だけど
それでも週一回の開店日には、
地元の酒飲みや
ワタシみたいな面白がりに愛され、
いつも賑やかだった。
大正時代に建てられたという元酒蔵を
オーナーが改造して、実に雰囲気のある酒場に変身させた。
空間演出、特に照明が抜群で、
実に気分よく酒が飲める。
センスがいいので、センスのいい客が集まる。
ひと癖ふた癖ある、オモシロイ御仁も多い。
悪く言えば誘蛾灯に集まる昆虫みたいなもんだ。
昆虫同士、話が盛り上がる。
いつも面白い出会いがあって、話題にことかかない。

この日は最終日ということで、
今シーズン、毎週欠かさず訪れた常連客に
店から一升瓶の「皆勤賞」がプレゼントされた。

ワタシの場合、金曜の夜は、
ヨソで飲み会に誘われたり
イベントごとがあったり、
また、東京に行ってることも多くて、
とうてい皆勤賞をのぞむべくもない。

来年も事情はおなじだろうけど、
できるだけ通いたいなあ♪
飛んで火にいる酒の虫。ブーン。

めでたしめでたし


ひさしぶりに結婚披露宴に招かれ、カミさんと出席。

弓ヶ浜半島が一望できる、
眺望がすばらしいパーティ会場なのだけれど
カーテンを締め切って、エレキ紙芝居を披露。

新郎新婦に直接聞き取り取材して、
事実を元に、ふたりのなれ初めを描きおろした。
ほのぼのタッチで日本昔話風に仕上げた
ファンタジー作品。
会場は笑いに包まれた。
めでたし、めでたし。

末永くお幸せに。

2016年10月28日金曜日

超大型モニター


10日前(10/18)に神戸で行われたイベントのひとこま。
演台にいるワタクシと比べると、
設置されているモニターがいかに大きいかわかる。
いったい何インチかね。
自分の描いた絵が、これだけ拡大されると
いや~、なかなか痛快よ。

4年後、東京五輪のメインスタジアムの
フィールド全体を使って投影する
世界最大級になるだろう
超巨大画面(地面?)を使って
エレキ紙芝居してみたい~!

真っ暗な五輪スタジアムに一条のスポットライト。
ギコギコ自転車にのった紙芝居師・ゴロ画伯が登場。
中央に自転車を止め、子供たちを集め
紙芝居を始める。

「56年前、東京オリンピックが開催されたとき、
小さな木の箱で見るしかなかった、紙芝居。
さあて、お立合い!
2020年の東京オリンピックの始まり始まり~!」

ちょんちょーん、拍子木の音を合図に、
どかどかどっか~ん!ド派手に超大型花火が打ち上げられ
瞬間、フィールドに超大型エレキ紙芝居が投影される。
アトムから始まって、キャプテン翼、ドラえもん、ジブリキャラクター、
マリオからピカチューまで、次から次へと
キャラクターが巨大化して飛び出していく。


超大型妄想。

く、悔しい!


200円を入れると淹れたてコーヒーが飲める。
ところがコップをセットする前に
うっかりボタンを押してしまった。

マシンはうなりを上げて動き出してはいるものの、
まだ、お湯を挽き豆に注いで蒸らしている段階なので、
コーヒーが抽出されるには数秒タイムラグがあるはずだ。
今からでもカップを置けば、十分間に合う。
・・・はずだった。

ところがこのマシン、いったん動き出したら、
コップを包む透明カバーが、ロックされ
抽出し終わるまで扉が開かない仕組み。

なんとかコップを置こうと、
扉をこじ開けようとしても、びくともしない。
ああ、ダメだ、間に合わない!
このままコップのないところに、
コーヒーが注がれるのを
黙って見ているしかないないのか!

すると、想像通り、褐色の液体が湯気を立てながら
勢いよく排水用の溝にジョボジョボ注がれていく。

あああ!なんてこったあ!

ぎゃはははは!
隣でこの様子を見ていたカミさんが
腹を抱えて大笑いしている。



く、悔しい!






ヘビ信仰



大山寺圓流院で開催中の
「大荒神展」(10/15~11/6)に行ってきた。

荒神(こうじん)とは、かまどの神で、
その年の収穫を感謝する行事が
出雲から伯耆にかけて分布している。

荒神さまはなぜか、ヘビの形をしている。
展覧会場はそこかしこに藁で編んだ大蛇だらけ。
かまどとヘビの関係はともかく、
要するに、山陰地方に古くから現在まで続く
「ヘビ信仰」を紹介しているのだ。

ワタシは嬉しくてニタニタしてしまった。
なぜかって?
日本人って、改めてスゴイ!と思うからだ。
だって日本人がヘビをうやまい始めたのは
いったい、いつからだろう。
江戸時代から?五百年前?千年前?
いやいや、そんな「最近」の話じゃない。
少なくとも、縄文時代にはヘビを信仰していた痕跡がある。
頭にヘビをのっけた土偶を例にあげるまでもなく、
そもそも縄文土器のデザインはヘビだらけだ。
ということは、1万年~1万5千年前から
日本人はヘビ信仰を始め、
そして、この展覧会が紹介するように、
21世紀の現在も脈々と続けているということになる。
こんな一貫性のある信仰、世界中どこを探してもないよ。
ものスゴイことだ。

しかも、ヘビ信仰は山陰地方だけに
細々と続いている特殊なものではない。

神社に必ず飾られている、しめ縄。
あれはヘビを象徴している。
もっと踏み込んで、
ヘビの交尾の様子をモデルにしていると
力説する高名な民俗学者もいる。
ヘビが交尾を始めると、まさに、
しめ縄のようにからみつくのだそうな。

現代日本人は気が付かない、
あるいは忘れているだけで
実はず~~~っと日本民族は
ヘビを大切にあがめてきたのだ。

じゃあ、日本人が古くから
ヘビを信仰していたのはナゼか。

きっと古代人はヘビに憧れていたんだろうと思う。
脱皮と冬眠。
ヘビのこの特異な生態が大きく関係している。

黒ずんでヨボヨボになったと思っていたら
皮を脱ぎ捨て、生まれたてのように若返る、脱皮。
それから冬、寒くなると動かなくなって
死んだと思っていたヤツが
春になるとふたたびニョロニョロ動き出す、冬眠。
老けないし、死なない。つまり、不老不死の象徴。
古代人にとっては、ヘビが憧れの存在だったのは
容易に想像できる。

やがて縄文時代が弥生時代になり
稲作がはじまって、大量に穀類を保存するようになると
今度はネズミ対策として、家でヘビを飼う習慣も広まった。
(たぶん、穀物を貯蔵する土器の中で)
そして高脚式の食糧貯蔵庫にも、
同じようにヘビを住まわせただろう。


高い柱に渡された棟木に
ヘビがからみついて守っているカタチ。
ワタシはそれが、鳥居としめ縄の始まりだと思っている。