2017年5月15日月曜日

天守閣コンプレックス




米子城には天守閣が残っていない。

「あ~あ、天守閣があれば
米子も有名観光地だったのに」
という嘆きの声を何度聞いたことか。
近所の松江城が国宝に指定されて以来
余計に米子人の天守閣コンプレックスが
ひどくなった気がする。
ま、ワタシも最近までそんな風に
考えていたんだけどね。

ところが、専門家、城マニア、城郭ファンに
聴いてみるとそうではないらしい。
米子城は大変な名城だそうな。
シロウトのワタシには
どうもその所がよくわからなかったのだが
最近腑に落ちた。
自他ともに認める城マニアの
赤井孝美氏がこう例えてくれた。

「天守はクリスマスケーキにのっている
サンタの飾りみたいなもの。
ケーキ本体は石垣」

そうか、そうだったのか!



天守が建てられるようになったのは
戦国末期のことで、
それ以前の城にはそもそも天守はなかった。
江戸時代になって戦争がなくなると、
天守は権威を示すただの飾り物。

殿様は天守に住んでいたと
勘違いする人がよくいるが、
それは大きな間違い。
殿様は御殿(基本的に平屋)に住んでた。
江戸時代も天守のない城は
たくさん存在した。

米子城の場合、戦国末期と江戸の
性格の全く違う両時代の石垣が
そのまま現存している。
朝鮮出兵の頃の秀吉最盛期から
天下を取った家康時代までの幅広い
石垣コレクションが揃っている貴重な城だ。

・・・天守閣コンプレックスが
なくなった。


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