米子美術館で始まったシンディ望月展。
オープニングの式典におじゃました。
真ん中の小柄なスカートの女性がシンディさん。
セレモニーの後、キュレーターの原万希子さんと共に
作家自身による作品解説。
アニメーションとインスタレーションが
組み合わさった不思議な空間。
マルチメディア作品展。
二人ともカナダのバンクーバー在住なのだが
不思議な縁で米子に呼び寄せられ
もはや、第二の故郷となったと、語った。
招へいされた現地で芸術を生み出す
アート・イン・レジデンスという活動が
バンクーバーと米子という二つの町を時空を超えてつなぐ。
シンディさんも米子に訪れた最初のうちは
バンクーバーの近くにある湖と、中海が
夕陽に輝く美しさが似ているなあと
共通点を発見する程度だった。
中海遊覧船の船頭さんに教わった
今はない「たつみ」という料亭の話。
中海に浮かぶ萱島で
戦前、謎の美人女将が経営する料亭は
米子のお金持ちの間で評判だった。
シンディさんは、この料亭とバンクーバーが
時空を超して繋がっていたという、
ミステリアスなファンタジーを思いつく。
ストーリーに肉付けをするため、
史実をいろいろ調べ、萱島にも上陸。
米子滞在中に、マスコミなどを通じて、
当時の「たつみ」を知るお年寄りと出会い
インタビュー取材をした。
しだいに米子で知り合う人の縁や
掘り起こされる歴史的な偶然が
ただ事ではないことに気が付いた。
それはバンクーバーに戻ってからだった。
実は、今から100年以上前に弓ヶ浜から
バンクーバーに渡った開拓団があったそうな。
人種差別や過酷な労働条件のもとで、
大変な苦労をされたようだ。
ところが、祖国の家族や友人にあてた手紙には
豊かで幸せな暮らしをしているという
まったく逆の作り話が書かれていた。
当時の開拓団の写真が残っているが、
森に入って、作業している様子なのに
なぜかみな、サスペンダーに白いワイシャツ
一張羅の洋服を着ている。
これを見たら、日本の人は、
開拓団は実にカッコよく仕事をして
優雅に暮らしていると勘違いしただろう。
地獄のような入植生活をなんとか改善したい。
日本から助けを呼びたい、
なんとか海を渡ってきてほしい。
そのためにはウソをついたという、切ない話だ。
シンディさんはバンクーバーで
このころの米子の人が
地元に残った人を呼び寄せる手紙を
発見したという。
展覧会場の横ではそんな歴史がわかる資料、
写真や書籍なども合わせて展示されている。
芸術家の思いついたファンタジーが
実在の歴史を呼び起こし
新しい繋がりを生んで、広がっていく。
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