2016年6月28日火曜日

2016年6月27日月曜日

中学校におじゃまして紙芝居講演


米子から高速道を西に走ると30分ほどで松江。
新興住宅街にあるこの中学は
十数年前、日本有数のマンモス校に数えられるくらい
生徒数が多かったらしい。

今日はこの中学校の先生を対象に
メンタルヘルスをテーマにした講演をした。
といっても、ワタシがやるのだから
当然エレキ紙芝居を利用した、
かなりエンターテイメントで型破りな内容。

不眠症で苦しむ主人公に
「感情」はなんのためにあるかを
ドラマチックに絵解きした
「冷たい炎」

自死防止のゲートキーパーをテーマにした
「風の扉」

二つのオリジナル紙芝居を
40人近い先生に披露した。

先生方の反応が良かったので、
また次の展開につながるといいなあ。



2016年6月26日日曜日

でか!


玉ねぎじゃないよ。ニンニク。でか!
ひと玉100円。やすっ!

米子情報局どげな?の近所の道端で売ってた。


スーパーで売ってる国産ニンニクは
中国産に比べて高すぎる。
でも、中国の土壌汚染が怖いので、
ワタシは手を出さない。

・・・おばちゃん、これ国産だよね。

アタシが庭で作ったやつだもん。

えええ?庭? 家庭菜園?
じゃ、国産どころか、おくさんだ。

恐るべし、米子の奥さん!






2016年6月25日土曜日

隠岐とポーランド


島根県の隠岐の島町と、ポーランド共和国のクロトシン市が
友好都市提携することになった。
なんと、相撲で結ばれた縁。
隠岐の島町は、古典相撲の伝統が今に息づく。
クロトシン市は、ポーランド相撲連盟の本部が置かれている。

意外なことに、ポーランドでは相撲人気が高く、
競技人口は日本とほぼ同じ、
女子に至っては、三倍近いという。

写真は調印式が行われる前夜セレモニーの様子。
立食パーティに見えるけど、島の老舗料亭の宴会大広間。
座敷に一人膳が並ぶ、昔ながらの宴席だ。
地元町民はもちろん、ポーランドからのお客さんも、みんな
座布団に胡坐をかいて座っていた。
椅子が用意された人も何人かいたが、
ほとんどが、さすが「相撲取り」だった。

なぜ、ワタシがこの席にいたのか?
それは宴席の出し物として、エレキ紙芝居をしたから。
分かりやすく言えば、結婚披露宴に呼ばれた芸人みたいなもんか?

「ヤポンスカ ~ポーランドの知られざる友情~」

ポーランド人の日本人に対する友情がよくわかる
史実を紙芝居にした作品。
たまたま二年前にこのことを知り、
あまりに感動したワタシは、さっそく紙芝居化して
あちこちで上演を始めた。

たまたま今回、天の計らいか、
絶好のチャンスが巡ってきたというわけだ。

そもそも、ポーランドは西洋一といってもいいほどの
親日国なのだが、それがどこからくるのか、
ピンとくる日本人はあまりいない。
それは、隠岐の島町の人たちだって同じだろう。

なので、友好を結ぶこの機会にゼヒ知ってほしかった。

幸いにも、上演後、島のみなさんたちから、口々に
「いい話だった。みなさんの友情が良くわかった」と
感想をいただくことができた。

特に、山中前ポーランド大使ご夫妻から
「こんな風に紹介してもらうと、分かりやすくていいですね」
というお褒めをいただいて、嬉しかった。

今回、紙芝居上演のチャンスを与えてくれた、
Tさんには本当に感謝だ。
公式行事の晴れ舞台に、
どこの馬の骨かわからない男を
起用したその蛮勇に、まず拍手だ。
エレキ紙芝居の舞台の後で、
「ウケなかったらどうしようと、実はハラハラしてた」と
ホッとしたTさんの笑顔を見たのが、
今回一番嬉しかったかな。



隠岐で古代ミステリーに出会う


境港、正午発の高速レインボージェットに乗船。
20年ぶりに渡る隠岐の島はあいにくの雨~。

西郷港のターミナルビルの中に設置された
「隠岐自然館」に行ってみた。
ひっそりとした受付に女性が一人。
入場料300円を払う。
希望すれば、15分ほどの解説案内があるという。
外は土砂降り、来館者はワタシ一人。
あんまり寂しすぎるので、案内をお願いした。

すると、あらわれたのは、さっきの女性。
どうやら、受付兼ガイドのようだ。
ところがびっくりするほど説明が学術的。
15分どころか小一時間に渡って、
隠岐の自然についてレクチャーしてくれた。
ワタシの暴投気味の質問にも
そのつど的確に答えを投げ返してくれる。

「隠岐は地質学的に宝島?」
「世界的に珍しいマントルゼノリスがこれです。」

「縄文人のあこがれが隠岐産の黒曜石ナイフ?」
「北陸地方で隠岐産黒曜石が見つかってます。」

つい面白くなって、ああだこうだと話が弾む。
そのうちガイドさんの方から、
「ここから覗いてください
穴の向こうから撮ると良い写真になるんですよ!」と
ワタシからタブレットを奪ってカシャッ。

貸切り博物館ならではのサービス?




これは「玉若酢命神社の八百杉」。
通称の「八百」どころか、
樹齢は二千年を超すと判明した大杉で
国の天然記念物だとか。
ん?天然記念物をこんな輪切りに加工していいの?
実はここに置いてあるのは4年前に暴風で
へし折れた枝の部分。
本体のご神木は幹回りが十数メートルもあって、
神社の入り口に今でも現役で、青々と茂っているとか。
す、すごい。


こちらは、隠岐の固有種ウサギ。
オキノウサギというそうだ。
ん?・・・ということは!

神話で有名なあの!因幡の白ウサギ!ではないか。
隠岐のワニ(サメ)たちを騙して、整列させて海を渡ったという
日本でもっとも有名な動物キャラクターご本人様とご対面!

ところが、女性ガイドさんはワタシの興奮に
申し訳なさそうにこう解説を始めた。

「実は、オキノウサギは、白くないんです。
雪が積もっても色は同じ茶色のままなんです。
たぶん、保護色になる必要がないほど
天敵が少なかったんでしょう。」

ええ?ということは、あの有名な白ウサギが
隠岐から海を渡ってきたというのはウソだった?

う~ん、ミステリーだ。

でも、もともとワニ(サメ)たちを騙すような
悪賢い奴だから、出身地を誤魔化すくらい当たり前か。

因幡の白う詐欺?

古事記が書かれたのが約1300年前でも、
2000年以上生きている
玉若酢命神社の八百杉なら、深層を知ってるハズだ。
教えてくれないかなあ。







2016年6月21日火曜日

人生という名のお酒


NYの下町ホテルのフロント・・・
のようにも見えるけど
米子市のアーケード商店街にひっそりとたたずむ
カフェ&レストラン&バー。
「ドドド」というちょっと変わった名前の、
このお店は米子で屈指のおしゃれな空間。

銀行を改造した店内の重厚で落ち着いた雰囲気が好きで、
これまで何回か足を運んだ。
いつもグループなんだけど、今回はひとりで訪れた。
お昼時、アジアンテイストで個性的なランチプレートを
一回、食べてみようと思ったのだ。

店内は薄暗いけど、これでもランチタイム。
まだワタシ以外に客はいない。
ちょっと異空間に紛れ込んだような、
時間が止まったような不思議な気分になる。

カウンターをよく見ると
妙な置物が並んでいる。


どくろのオブジェ?なんだろうと思って、
注文を取りに来たウェイターさんに聞いてみると
お酒だという。
ああ、確かに、メニューに載ってる載ってる。
へえ、テキーラなんだ。


KAH という名前のテキーラ。
古代マヤ語で「人生」を意味する言葉だそうな。

うーん。どくろのデザインで、人生かあ。
意味深だなあ。

昼間だけど、呑んじゃおうかな・・・。
まるで、外国旅行してる気分になれそうだ。

いや、ガイコツ旅行か。
今日はやめとこ。


2016年6月20日月曜日

米子という地名


米子駅に到着すると目をひくオブジェ。
白い鉄骨組みの造形物で二枚貝のようにも見える。
これはいったいなにを表現しているのか。
「米っ子合掌像」と書いてある。
米子だから、米っ子。
「こめっこ」と読ませたいようだ。
なるほど、ということはつまり、
米粒が手を合わせて拝んでいるイメージかな?

米子の地名の由来はいくつかあるが
大きく分けて二つのパターンがある。
このオブジェと同じく、
米=コメ イネ科の植物を由来とする説。
そしてもうひとつは、米=八十八とする説。

米=コメ 説
① 古くはお米を研ぐことを「よなぐ」と言い、
「よなぐ井戸」→「よなぐい」→「よなご」と変化した。

② 昔から稲作が盛んで、米が良く実る里であった。
「米生郷(よなうごう)」→「よなご」


まあ、普通に納得できる話である。
これに対して、米=八十八 説はかなりミステリアス。

③引っ越してきた金持ち夫婦には子がいなかった。
賀茂神社に祈願すると、八十八歳で子宝を授かった。
「八十八の子=米子」

④ 彦名(地名)の村の長者が
八十八の時に子を産んだ。
「八十八の子=米子」

③も④も88歳が、男なのか女なのか
はっきりしていない。
現実的には、いくらなんでもおばあちゃんが
88歳で赤ちゃんを産むことはないし、
伝説と言ってもいささかグロテスクだと思うので
考えられるのは、お爺さんが、いい年こいて
若い嫁さんを貰ったところ
ナイショで誰かの子を身ごもったんじゃないの?
ということになると思う。

88歳だったのが、男女、
いずれにしても、米子出身としては
あんまり広まってもらいたくない伝説だよね。

でも、ワタシはあえて、
④88歳女性出産説を支持する。

というのも、米子市彦名の粟島神社に
こういう伝説が残っているのだ。

ある漁師の娘が、18歳の時、
誤って人魚の肉を食してしまい
伝説の通り不老不死になってしまった。
そして、800年も生きながらえ
八尾比丘尼と呼ばれるようになった。
ついには世をはかなんで洞窟に籠り
断食をしてこの世を去った。

この話がホントだと仮定する。
不老、つまり18歳の若い元気な身体のままで、
70年後に長者の嫁となって子供を産んだのだ。
なんともミステリアスな展開ではないか。

ワタシは、この不老不死の女性が
いまでも、生き続けていると信じている。
18歳のまま、米子のどこかで
現役女子高生として。

下の動画は、歴史や文化に詳しいその粟島ヤオちゃんです。









2016年6月19日日曜日

お月様からのプレゼント


酔っぱらって帰宅、タクシーを降りると、
夜空にはオボロ月。
空いっぱいに広がった薄~い雲をフィルターにして、
月の周りに、ぐるっと円を描くように、
うっすら虹の光彩が出来てた。

手持ちのタブレットで撮影して、
部屋に戻ってすぐ寝た。
あらためて今日になって見てみると
ゆうべの珍しい光景は
さすがに撮影できてなかった。
月光でできる光彩なんて
相当なテクニックがないと撮れないよね。

さて、明日の夜は満月。
どんな雲が現れて、どんな演出で
まんまるお月様を
楽しませてくれるだろう。

でも、ワタシにとって満月の夜の
もう一つの楽しみは
月光に照らされ、地面に落ちる自分の影。
いわゆる「月影」というやつだ。

都会で暮らしていると
夜になっても煌々と明るい照明が
あちこちにあるせいで、、
なかなか月光で出来る自分の影なんか
見られるもんじゃない。

大自然からの美しいプレゼント
月影はこれを独り占めしたような
すごく贅沢な気分になれるのだ。

でも、これも撮影は難しいだろうなあ。

2016年6月18日土曜日

河童の正体を考えたらゾッとした話


という話を書いた。

でも河童といえば、妖怪の中でも
かなりポピュラーで、全国的な存在。
米子や山陰だけでなく、各地に伝説が残っていて、
しかも、その風貌や特徴には共通項がある。
たとえば、全身緑色で、頭には皿、
背中には甲羅をのせている。
手足の指の間には水かきがあり
するどいくちばしをもつ等々。
そして、人間の尻の穴から手をつっこんで
魂(=しりこだま)を抜いてしまうという。


不思議だ。

もし、子供をおどかして、
水難危険地域に近寄らせないのが目的なら
もっと多彩な種類の妖怪や化け物が
造形されていたっておかしくない。
ヘビやワニみたいな形の怪物でもいいはずなのに
全国で伝えられているこの水辺の妖怪は
むしろ人間の姿に近い。
河の童というくらいで、人間の子供さえ連想させる。
なぜだろう。

米子の河童伝説を紙芝居にしようと思って
あれこれ考えを巡らせていた時、
ハッとあることに気が付いた。
そして、ゾッっとした。

冒頭のカワイイ河童の絵に惹かれて
この文章を読み始めた人は、
ここから先はやめた方がいいかも。
眠れなくなるかもしれないよ。


それではワタシの仮説を披露する。










河童の正体は流れ着いた水死体。


子供たちは、大人にみっちり愕かされて
水辺に近寄らないようにしている。
それでも、中には何かのきっかけで
実際に河童を目撃してしまう子もいた。

長雨が続く中、いつもは川べりのあぜ道だったところが、
水位が上がって、水浸しになっている。
草木の繁みから、淀みに漂っている何かを見つける。

なんだろうと、こわごわのぞくと
それは、腐敗が進んで人間とは思えない緑色をしている。

ほどけた髪の毛が、水の中でクラゲのように
放射状に広がってユラユラ漂っている。
頭頂を剃った月代(さかやき)が
まるで皿のように見える。

痩せこけた背中からは肋骨が透けて、
カメの甲羅の文様のようだ。

腐敗と水流で顔面の下半分が取れて
上あごだけになったために、
まるで飛び出したクチバシに見える。

ふやけた手足からは皮膚が剥がれ
指の間で広がっている。

なにより恐ろしいのが、肛門だ。
水流が人間を一本の管にしてしまう。
水死体は通常の人間では考えられないくらい
肛門が大きく広がる。
それは、あたかも臓物を全部抜いたような穴だという。

人間のようで人間とはかけはなれた
あまりにも恐ろしい異形に
肝をつぶした子供は、
おそらく一生、その特徴が
頭から離れなかったことだろう。
そしてことあるごとに河童の実在を次世代に伝えた。
ありありとした特徴をリアルに。

河童の特徴が全国どこでも
似たり寄ったりで共通しているのは
想像の根源が水死体だからだ。

でも、キュウリが大好物で
なにかというと、人間と相撲を取りたがるという
河童の特徴もあったな。
う~ん。

いつかこれも水死体、いや、推理したい。







河童と地蔵の住む町


米子市内を流れる加茂川。
きっちり護岸整備されていて、川というより用水路。
ここに河童が住んでいた!

いやいや、そう言われても
ちょっと想像しにくいかもしれない。

だいいち米子城のおひざ元だから
江戸時代にしたって商用船が行き来したり、
染物流しに使われてたりして
けっこうにぎやかな城下町のはずだ。
とても、河童が現れる風情ではない。

だけど、ひとたび大雨になれば
この川は暴れ川と化したらしい。
上流から溺れ死んだ遺体が流れ着くこともしばしば。

今でも、川岸のいたるところに
お地蔵さんが並んでいて、
米子の見どころになっているが
実は洪水被害の名残なのだという。

交通事故現場の道端に、
花が供えてあったりするが、
そのハシリといっていいかもしれない。

さて、そこで、この写真。
実は加茂川の中でも、
もっとも危険な場所だったようだ。

行き止まりのように見えるが、画面右側が上流。
川は画面中央で直角に向きを変えて
画面手前に流れてくる。
護岸が施される前、ここは激流が渦を巻き、
川底は5メートルもの深さがあったというから驚きだ。

だから、ここに河童がいたというわけだ。
子供たちを近寄らせないために大人たちは

「あそこは河童のすみかだ、
近寄ったら水の中に引きずり込まれ
尻こだまを抜かれるぞ」
と語って聞かせた。
恐れをなした子供は、近寄らない。
つまり、効果的な水難予防策が
河童伝説だったというわけだ。




2016年6月17日金曜日

最近公衆電話、使ったことありますか?


レトロな公衆電話。
鳥取県湯梨浜町にある老舗喫茶店の片隅で発見。
良く見ると、プッシュホンなので、
そんな、めたらやったに古くはない。
黄色の公衆電話の改造機種だろうか。
なんだか哀愁のあるロボットに見えるのはワタシだけ?

2016年6月14日火曜日

メンタルヘルス


鳥取県の湯梨浜町にある養護老人ホームでの
職員に対するメンタルヘルス研修講習会をした。
若い女性ヘルパーさんが主人公の
「キンモクセイが薫るころ」を上演。
自傷を繰り返していた少女が、
他人の役に立つ喜びに目覚め、
介護士の資格を取って、仕事を通じ、
立ち直っていくストーリー。

ワタシの紙芝居作品の代表作で、
パリの国際アドラー心理学会でも
研究発表した思い出深い作品。


実は6年前、ワタシは東京から帰郷して、
認知症になった母親をひとりで在宅介護する生活になった。
そのとき、ワタシの心の支えになったのが、
ヘルパーさんの訪問介護だった。
だから、そのヘルパーさんにこの作品で
少しでも恩返しができたら
こんなにウレシイことはない。


母の介護生活をしてる時、自宅訪問に通ってくれる、
ずっと年下の女性ヘルパーさんに
自分のへこたれたところをみせたくなかった。
「偉いですね」と、若い女の子に言ってほしい一心で
男手ひとつの在宅介護を楽しんでるフリをした。

それがよかった。

初心者だから、教えて!と
ヘルパーさんになんでもかんでも教わって
在宅介護に必要なスキルを身につけて行くうちに
楽しんでるフリが、本当に楽しくなっていった。

ヘルパーさんには本当に感謝している。

介護の仕事は本当にタイヘンだ。
強靭な精神力がいると思う。

でも、それは忍耐力だけではない。
自分の発想や考え方を変えるだけで、
実はぐっと楽になることができる。

そのきっかけとなったらいいと思って
導入部はいつも、大笑いしてリラックスできる
爆笑ネタから入る。
笑いは、頭の柔軟体操になるもんね。

今回の講習もみなさん、ずいぶん笑ってくれた。

よかった。


今年も会えた!


今年初めての岩牡蠣!
食べたことのない人に説明すると、
冬が旬の普通の牡蠣とは違って
夏が旬の岩牡蠣は、大振りで、しかも味が濃厚。
特に鳥取県産は甘い。
ああ、今年も会えてウレシイ。


広い日本海でも、岩牡蠣が獲れる漁場は数が限られる。
牡蠣が大きく育つには豊富なプランクトンが必要だから。
暖流と寒流が入り混じる、日本海の豊かな環境、
さらに大山の森林からミネラルたっぷりの湧水が流れ込むので
良質のプランクトンが大量発生する。

これを冬の間、厳しい日本海の荒波を
岩にしがみついて耐え抜いて、腹をすかせた岩牡蠣が
春から夏にかけておお食らいする。
たらふく食べて、ぐんぐん育つ。

四年もこれを繰り返した巨大岩牡蠣が「夏輝」だ。
殻高13センチ以上の大物で、10メートルの海底から
漁師さんが素潜りで捕ってくる天然物。

言葉通り、海の宝石。
豊かな自然の最高の贈り物だ~。

育ってくれてありがとう!
日本海ありがとう!大山ありがとう!
漁師さんありがとう!

秘境に迷い込む

夕方に米子を出発、友達の運転で山陰道を西へドライブした。
松江の手前で南に進路を変え、中国山地に分け入っていく。
どんどん道が細くなり、傾斜がきつくなっていく。
目的地を現すGPS画面にはもはや道が表示されていない。
かろうじて舗装されてはいるが、対向車がすれ違うのはとうてい無理。
ホントにこんな山奥に民家があるの?


秘境としか言いようのない山奥。
古民家が忽然と現れた。
車を止めると、どこからか、妖しい音が聞こえてくる。
神秘的で幽玄な金属音。ガムランの音だ。
インドネシアに古くから伝わる民俗楽器。



民家の中に入ると、広い座敷に
足の踏み場もないくらい楽器が並んでいる。
壮観!国内有数の規模とのこと。
演奏の音が迷惑にならないところを探しているうちに
山奥の築100年以上の古民家にたどり着いたらしい。

今年の秋に、このガムラン演奏とコラボした
ホールイベントをやる。

淀江にある謎の仏教寺院、上淀廃寺(かみよどはいじ)。
法隆寺と同時代のすぐれた仏教壁画が出土しているのに
由来も名称もいまだにわからない。
ただ、建立当時は国内だけでなく海外からも
お客さんを招いた開眼法要が営まれたことだろう。
当時の人が聞いたこともないような音楽が
きっと演奏されたに違いない。

それを再現してみようという企画。
ワタシも紙芝居で参加する予定。
古代のロマンスが、ガムランを通して
どんな舞台になって広がるか、
今から楽しみだ。

・・・ところでどうやって運び出すの?

2016年6月3日金曜日