2017年4月30日日曜日

ウグイス・ドミンゴ


ウグイス界の、最高歌手ではないかと
思われるような、スゴイ美声を聴いた。

島根半島・枕木山の山頂付近にある
臨済宗南禅寺派の古刹
華蔵寺(けぞうじ)にお詣りした時のこと。


降り続いていた雨がすっかり上がって
みるみる青空が広がっていく。
新緑が目に鮮やかな森を
さわやかな風が吹き抜けていた。
その時、至近距離からウグイスの鳴き声。
オペラ歌手のようにたっぷりとした声量
実に浪々とした調子で

ホー、ホケキョウ♪

これまで聴いたどんなウグイスよりも
美声で声量があった。

昔からウグイスは「ほ~法華経」と鳴くと言われるが
本当に、これでもか!というくらい
きちんとホケキョウと発声していた。

そもそもウグイスの鳴き声を
法華経と結びつけたのは、
戦国時代、臨済宗の僧・惟高妙安だそうで
著書の「詩学大成抄」(永禄年間1558〜70頃)に
《鶯が法華経とたかだかと鳴いたは》とあるそうな。

実はこの妙安和尚、30年間も
ここ出雲・伯耆で暮らしていたらしい。
同じ臨済宗で、しかも京都の本山
南禅寺の住職だった人だから
当然、この華蔵寺も訪れているはずだ。
というより住んでいたかもしれない。

すると、妙安和尚が聴いたウグイスは
華蔵寺のウグイスだったかもしれない!
そのころから
ここのお寺のウグイスは
「法華経とたかだかと鳴く」
由緒正しい正統の流派だったのだ!

お寺は住職が変わっても
代々同じ教えを伝えていくように
ウグイスも、代々美声を引き継いでいくとしたら
なんとも面白いではないか。

そういえば去年参拝した時も、
ウグイスが鳴いて、
美声だと感心した憶えがある。
同じウグイスだろうか。
それとも、代替わりしてるのかな。
ホケキョウ流ウグイス
第1280代家元とかだったりして。

トホ宝・空海さん

 
頭の部分がすげ替えられている。
おそらく長年の風雪によって、
首がおっこちちゃったので
気の毒だと思った信者か誰かが
セメントなどで修理したのだと思う。
だけど、ちょっとちょっと。
あまりにトホホな出来じゃない?

↑つい、思い出しちゃった。

この石像は首が落ちる前は
どんなお顔だったのだろう。
そもそもこれはお地蔵さま?
いや違う。
これはお大師さま。弘法大師。
つまり、空海さんなのだ。

なんでわかるかというと、
この石像は、空海上人のトレードマークである
三鈷杵を胸元に持っているのが判別できる。


鬱蒼とした木の茂る米子城址には
「城山大師」と呼ばれる空海上人の石像が
中腹の遊歩道にそって、八十八か所設置されている。
お遍路さんで知られる
四国八十八か所霊場の
いわゆる写し霊場なのだ。

だけど、修復された後は
とても同一人物とは思えない。
トホホ・・・。





ていうか修復者は、
空海さんだと理解してたのかね?

もともとこの空海さんの石像が
作られたのは大正時代だ。
安達弁市さんというお蕎麦屋さんが失明し、
奥さんと義妹に手を引かれ
回復を願って、四国遍路の旅に出たそうな。
すると、四国最南端の足摺岬を巡礼中、
突如目が見えるようになった。
(第38番札所 金剛福寺)
この奇跡を聞きつけた米子の庶民の中で
あやかりたいという機運が高まった。
  手近なところで四国札所巡りが出来るようにと
寄付が集まり、米子城山で写し霊場つくりが始まった。
四国の札所にならって、弘法大師とそのお寺のご本尊の
二仏一対を米子城山にそれぞれ建立していった。
それに際して関係者がわざわざ四国に出向いて、
各寺院の現地の土や石を持ち帰って
石仏の下に埋めたというから
当時の米子庶民の意気込みがうかがえる。

ところが、残念なことに
軟らかい来待石で彫刻したために風化が早かった。
数十年で次々お大師さまの首が落ちる事態に。
後世、修復作業が行われたようなのだが・・・。
トホホなことになって今にいたるわけだ。
これはもともと宗教法人の事業ではなく、
市民の発案・自主建立という
住民運動のような流れだったので
おそらく真言宗の本山とか仏教専門家の
ちゃんとした指導を仰がずにやっちゃったんだろう。
米子人にありがちなテキトー、
いい加減さ全開というわけだ。
でも、この霊場を守り育てる活動を
今も真摯にコツコツ続けている
「城山大師維持奉仕会」という
市民のボランティア団体も
修復を特に問題視している気配はなく
むしろ温かく許容されているようでもあり、
それも含め、愛嬌があって
ワタシは好きだ。

米子のトホ宝として愛そうと思う。

ここに紹介した「トホ宝・空海さん」は
ほんの一部なので、
機会があればみなさんもゼヒ巡って
愛すべきトホホ感を味わってみてください。





核のぼり


このまま
のどかな風景だといいけど。

鯉のぼり


米子の田園風景。
鯉のぼりのすぐそばには
小学校と保育園が並ぶ。
健康にスクスク育ってほしいと願う
保護者や自治会が設置したんだろう。

ミサイル飛ばすより鯉のぼりを上げる
大人を尊敬します。






2017年4月25日火曜日

ど根性ポピー


どんな境遇でも、花開く。
凄いなあ。
そのど根性、見習いたいなあ。
そう思っていたんだけど、
こんな情報が。


「だらず」の語源・続編


「ダラズ」「ダラ」とは米子地方の方言で
バカとかアホと同じく
愚か者という意味。
諸説あるけどバカもアホも
いずれも仏教由来という説が有力なので
「ダラズ」もそうではないか、
というワタシの推論を以前に書いた。
ダラズは陀羅尼坊主(だらにぼうず)
が短くなった呼び方だ、と。

その後、ワタシなりに研究がすすんだので(笑)
紹介しようと思う。
そげなダラズげな話、どげでもええわ!
と思う人以外、読んでください。

陀羅尼(だらに)とは、
サンスクリット語のダーラニーから来ていて
マントラや密教の真言、
呪術的な語句を陀羅尼(当て字)と呼ぶ。

日本では百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)が
なんと世界最古の印刷物(!)として有名

百万塔陀羅尼 <京都国立博物館蔵>

奈良時代に百万部も刷られ
塔の形をしたケース百万個の中に収納され、
奈良の当時の代表的な10か寺に
10万塔づつ配られ収められたそうな。

百万塔 <京都国立博物館>

1200年前、よくこれだけ精妙な木工細工を
百万個も作ったもんだ。
もちろん機械なんてない時代だから
まったく気の遠くなるような手作業だ。
いったいどれだけの職人を動員したんだろう。
世の安寧、護国を願って、国を挙げて成した
それはそれは大事業だったに違いない。

ということで、
「陀羅尼」は当時の日本人なら、
詳細は知らなくても、
存在だけなら誰もが知っていて、
都だけでなく、どんな田舎でも
話題にのぼる単語であったろう。
なんだか有難くて
ご利益のありそうなモノだったわけだ。

さて、とすると、なんで
バカにしたり、蔑む言葉として定着したのか。

奈良時代の記述「日本霊異記」に、
こんな場面が描かれている。

長者が旅の乞食僧を引き入れて
「法華経を講じてくれないか」と頼むと
乞食僧はこう答えた。
「とてもそういう学問は私にはありません
私はただ、般若陀羅尼だけをそらんじて
物乞いをして回っているだけです」
と恐縮したという。

つまり、陀羅尼が流行したことで、
それを口ずさんで修行の旅をする遊行僧が増えた。
それも教団に属せず、自己流で陀羅尼を唱える
私度僧が多かったようだ。
ハッキリ言えば物乞いが目的で、
租税や賦役を逃れるための
なんちゃって坊主。
官はこれを忌み嫌い、法律で禁止し、
民にも蔑むようにさせた。

こういった背景によって、
「この陀羅尼坊主!ダラズめ!」
という風に、蔑称として
使用されるようになったという風に
ワタシは推理する。

そして、京の都の時代になって、
僧侶が使う隠語として
バカ=サンスクリット語で
「痴、愚か」を意味する
莫迦」が流行し使用されるようになった。
これが後の当て字で馬鹿という表記に。

また、アホも「唖法」(あほう)という
言葉を忘れる修行をする行者を
そのように呼んだのが始まりとする説が有力。

そうだとすると、アホンダラ!は
唖法陀羅尼から来てるのかもしれない。

結論。ダラズもバカもアホも
仏教由来というより、
仏僧由来というのが
より真実に近い。




2017年4月18日火曜日

イッキ飲みは大変無礼です!


鳥取大学の学食の壁。
デジタルサイネージというんだろうか
大学側からの連絡・案内などの画面にまじって
この時期ならではの注意事項も。

30数年前の学生時代を思い出して
つい、胸キュンになった~。
若さゆえの泥酔・失敗体験は数えきれない。

でも、イッキ飲み、特にコールだけは絶対しなかった。
「大変危険!」だからではなくて
お酒に対して無礼だから。

特に日本酒なんて、職人さんたちが
どれだけ手間をかけて
作ってくださってることか。
味わうことなく胃に直行なんて
無礼すぎるではないか。

健康被害を喚起するのもいいけど
日本の大切な文化である
日本酒がどうやって出来上がるか、
稲の栽培・収穫から教えて、
リスペクトを持ってもらうほうが
効果あると思うけどな~。

マーケティング


ドラッカーさんによると、
マーケティングの究極目標は
「販売活動をなくすこと」だそうな。

お客さんが求めるものからスタートするのが
「マーケティング」で
自分たちの売りたいものからスタートするのが
「販売」だそう。

勉強になるなあ。
・・・町おこしも使えるかなあ。

2017年4月17日月曜日

グラパラリーフ


焼き肉の口直しに、と出されて初めて口にした
「食べられるサボテン」
メキシコ原産・グラパラリーフ。

はりんご、とも言われる。
でも、りんごみたいに甘くはない。
たしかに食感は似ていて、
酸味が強く、かなりスッぱい。
こってりした肉料理の後、
口の中をさっぱりリセットするには
ちょうどいいかもしれない。

でもそれより、ワタシはこの葉っぱの形に
ぐっときた。
お地蔵さんの舟形光背に
そっくりではないか。

「地蔵信仰の聖地」大山や米子の
名物にしたらいいかも。

20種類以上のミネラル成分を含んでいて  
サラダやジュースなどで食べられ、
女性を中心に「健康野菜」として
ちかごろ注目されているらしいよ。 
これに、地蔵様のご利益を謳って、さ。
          さいわい、繁殖力が強くて育てやすいそうだ。

2017年4月16日日曜日

弥生時代の戦争


なにがあったのだろう。
百体以上の遺骨が、まとまって発掘されたことで
有名な青谷上寺地遺跡の展示館に行ってきた。
上の写真みたいに、若い女性にも殺傷痕があって
1800年前に集団虐殺があったリアルな証拠だ。
かの「倭国大乱」を示す物証だとも。

それはそれとして、この遺跡の特徴は
埋蔵物の保存状態の良さだとか。
多彩な遺物が出土していて
「弥生の地下博物館」と異名をとるそうな。


特に、脳みそがまるまる保存されて出土したのは
世界的にも珍しくて、5例しかないそうな。
1800年前に何が起こったのか、
記憶が取り出せないもんかね~。


ところで近くの青谷上寺地調査室収蔵展示室では
さまざまな発掘品が研究をまっている。
そもそも、この遺跡は道路建設工事で
地面を掘り起した時に発見された。
ということは、まだまだ道路以外の場所に
膨大な面白い遺物が眠っているに違いない。
掘れば弥生時代の謎を解くようなのも
いっぱい出てくるんだろうけど、
わざわざ掘るような予算はないだろうなあ。


究極のミスジ


生産者の方と同席するという
めったにない体験をした。
しかも、世界で絶賛される黒毛和牛を
手塩にかけて育てていらっしゃる方だ。
緊張。ワタシはグルメではない。
カルビとタンの違いぐらいしかわからない。

部位の名札がズラッと並べられた
高級肉を前にして、たじろいでしまった。
ミスジ、イチボ、クリミ。
う~ん。いかにも専門的だが
チンプンカンプン。

とりあえずミスジなるものを炙って、
口にしてみて腰を抜かした。
どわーっ!めっちゃウマイ~!
甘味があって、コクが舌の上で広がる。
よく、口の中で溶けるという表現があるけど、
そうではない。
それじゃ「肉」という感じがしない。
これは、ちゃんと食べごたえがあって
やわらかいけど、しっかり弾力もある。
いかにも健康的な肉質という感じだ。

ミスジというのは肩甲骨の裏側の部分で
牛一頭で、ほんの少ししかとることのできない
それは貴重な部位だそうな。
食通の間では知られた部位で
メニューにあるだけでその店は
一目置かれるぐらいだとか。
なるほど、どうりでウマイわけだ~。

しかも、「大山黒牛」ときてる。

実は鳥取県は日本のブランド和牛の
すべての始祖である「気高号」を生んだ土地柄だ。
その本家の土地で育った「大山黒牛」こそ
数ある和牛の中でも、
もっとも由緒正しい銘柄牛といえる。

そして、なんといっても、
ストレスなく牛がのびのび育つ環境こそが
おいしさの秘訣だという。
百年もの歳月を経て濾過された
大山の豊かな伏流水を飲み
ミネラル豊富な名水で育った藁を食べ、
一頭一頭手間ひまかけて育てられているそうな。
つまり大山の恵みをいっぱいうけた味なのだ。

その肉を徹底的においしく提供しようとする店もすごい。
部位によって食感と味が違うのは当然だとしても、
肉をひきたてる、タレや塩、わさびなど
相性を考え抜いて、細かく店のおススメを提案している。
びっくりしたのは、メレンゲ。
あらためて黄身を溶いてまぜるのだけれど
これが、タレのつけ焼き肉と相性が抜群。
笑っちゃうくらいウマイ。
高級肉でもスキ焼のおいしさを
味わえるように工夫してこの形になったとか。
アイデアに脱帽!

「日本各地を旅行して回ったが
一番オイシイ体験だった。
神戸牛より美味かった」と言った
外国人観光客がいたらしいけど
さもありなん、だ。
そのうち世界中の肉好きが
押し掛けるようになるんじゃないかな。
米子近辺の人は今のうちに
行っておいた方がいいよ~。
これだけの代物が
ちょっと信じられないくらい
リーズナブルな値段で提供されてる。


大山黒牛専門店「強小亭」
(米子市角盤町)

2017年4月14日金曜日

キャンパスにて


男女共同参画社会をテーマに
鳥取大学の新入生に「講義」をした。
アドラー心理学の勉強仲間が推薦してくれて
白羽の矢が立ったのだけれど、
ワタシがやるからには当然、エレキ紙芝居だ。

国立大学の教壇に
ポーラー帽にマントという
いつもの怪しげな衣装で登壇すると
百数十名の大学生がどよめいた(笑)。
拍子木と小太鼓の鳴り物付きの
前代未聞な授業に、大学生になりたての
若者たちも戸惑を隠せない。

「鳥取県~トンデモナイところに来てしまった」
県外からの入学が三分の二というから
そう思った学生もいたかもしれない。

でも、定番のクイズやなぞなぞで始めて気分をほぐし
学生たちと双方向のやり取りを繰り返していくうちに
階段教室はあっというまに笑いの渦に。
こうなると、やりやすい。

コチラの繰り出す演目、いや、講義内容か(笑)
真面目な話も、集中して聴いてくれたような気がする。

ともすると抽象的な話に終始してしまうテーマを
具体的なドラマを観賞してもらうことで
ズバッと直感的に理解・インプットしてもらおうと企んだ。
 
医療の世界に進む学生が対象だったので
介護士の女の子が主人公の
「キンモクセイの薫るころ」を
最後に持ってきて、熱っぽく語っていたら
1時間半の持ち時間があっという間に終わった。

講義が終わって、
担当の先生がレポートを書くように
用紙を配っていたけど、
さてさてどんな感想が帰ってくるんだろう・・・。
うまく届いたらいいんだけど。


学食だ、わーい


鳥取大学で講義をする前に腹ごしらえ。
湖山キャンパスの学食で
大学生に負けないように、
がっつりカツカレー。
388円。安っ!
おしんことサラダを付けても538円。
わはは。

ワタシが大学生だった30数年前と
物価はそう変わらないんじゃない?

感動再現!


日本のみならず世界中が感動した
伝説のソチ五輪フリー演技。
あの興奮をもう一度
味わってみたくないですか?

浅田真央選手の演技が
ナゼあんなに人の胸を打ったのか
知られざる秘密を
迫真の似顔絵イラストと
講談調の語り、
そしてラフマニノフの音楽で
熱~く再現します!

ゴロ画伯渾身のエレキ紙芝居
上演オファー、お待ちしております。

2017年4月9日日曜日

キツネVSオオカミ


米子の飲み屋街にひっそりとたたずむ祠。
どこにでもあるお稲荷さん、
…ではないらしい。
お稲荷さんはキツネを祀っているが
この祠は「木野山神社」で
オオカミの神様なんだって。
キツネの天敵がオオカミだから
お稲荷さんのライバルと言っていいのかも。

古来より、伝染病や精神病は「憑き物」だとして、
主にキツネのせいだと考えられていた。
キツネにとっては迷惑な話だけど、
特に山陰は「キツネ憑き」伝承の
発祥地だとも考えられている。
で、憑き物落とし、ということで
伝染病や精神病に霊験あるとされたのが
キツネの天敵、オオカミ信仰だそうな。

ただし、この祠のオオカミ様が
やっつける相手はキツネではなかったようだ。

幕末(あるいは明治)に
コレラが流行った。
人々は恐怖に駆られ、この病気を退ける神様を探した。
コレラは当時、「虎烈刺」と表記されていた。
「虎」に勝つのは「狼」だということで、
オオカミを祀る備中木野山神社から勧請したらしい。

何の都合で、この場所が選ばれたのかは
わからないんだけど、
このあたりが繁華街になるのは
ずっと後のことだから
もともとは、ひっそりとした風景だったのかも。
昭和の高度経済成長期にはネオンひしめく
キラビヤカなところになっちゃって
オオカミ様もびっくりしただろうなあ。

呑み屋を渡り歩く「大トラ」退散の
願掛けもされてたりしてね。

広島カープファンが
阪神戦の時にお詣りしてもよさそう。
真っ赤だし。




隠岐の島の贈り物



まさかの生イワガキinお花見!
隠岐の島から直送された「春香」。
暖流と寒流が交わるプランクトン豊富な漁場で
3年に渡って育てられた海士町の特産品だそうな。
「肉厚でクリーミー、濃厚な味わいの中にもさわやかな甘み」
として全国に名を轟かせる山陰のイワガキは
てっきり夏限定のご馳走だと信じていたので
まさか花見でお目にかかるとは思いもよらなかった。
隠岐のイワガキは3月~5月が旬なんだとか。
知らなかった~

最近知り合った、ハイソなお姉さまが
独自の人脈を使って持ち込んでくれた。
しかも、良く冷えたシャブリ同伴で!
な、なんてゴージャスなんざましょ!
メルシー、マダム♪



2017年4月8日土曜日

クラシック


ひさしぶりに屋外で紙芝居。
曇天だったけど、爽快感がある♪

歴史的には戦後、テレビの台頭が
紙芝居を衰退させたわけだけど
長らく王者だったテレビも
最近、ネット&スマホに
追い落とされようとしている。

テレビというのは、
屋内の決まった場所で決まった時間に、
中央からの決まった情報を、
ありがたく受け取るのが基本。
選択肢が狭くて自由度が低い。

ネットは場所を選ばず、時間を選ばず
逆に情報を選ぶことができる。
情報に中央と周辺という概念も薄い。
受け取るより、取りにいくのが基本で
テレビに比べ格段に選択肢が広くて自由だ。
テレビの衰退は当たり前だろう。

情報を発信するのも受け取るのも
中央も周辺もないフラットな時代になったので
これからの情報は、場所が大切になるのかな。

ひじょーにクラシックな情報ツールだけど
満開の桜の下で紙芝居をする幸せ。





2017年4月7日金曜日

染井の桜の下で


今年は桜が遅いって皆が言うね。
東京ではお彼岸の頃に満開になるはずの
エドヒガンの枝垂桜の開花が遅れに遅れ、
そのせいで、ソメイヨシノと同時期に
お花見できるという幸運に恵まれた。

都心では「花見」ならぬ「人見」になる
くらい混雑するところが多い中
人影の少ない貴重な名所がある。
桜の代名詞、ソメイヨシノの
発祥の地・染井の地にある
染井霊園は、当たり前だけど
お墓だから、ひっそりとしている。

そこで、出会った風景。

ワタシら夫婦の前を
ベビーカーを押してのんびり
お花見散歩する母子づれが二組いた。
ママ友なんだろう、細い路地を
並んで歩いているので
追い越すなら、どちらか
道を開けてもらわなければならない。

まあ、いいや。
歩調を緩めて、なんとなく
後をついて歩くような形に。

すると、向こうから車椅子がやってきた。
90歳くらいの老婦人を載せ、
押しているのは、こちらも白髪の女性。
たぶん娘さんだと思う。
お青空と桜のコントラストを味わうように
見上げながらゆっくり散歩する二人。

すれ違うにはどちらか道を
ゆずらなければならないけど、
こちらの存在に気が付いていないかんじ。

突然、娘さんが車椅子を押すのをやめ
お婆ちゃんを追い越し前に出た。
タブレットを取りだし
満開のソメイヨシノの下で
記念撮影しようとしている。

その間、こちらの一団は立ち止まることに。
でも、素敵な光景だった。
車椅子のおばあちゃんは
もしかしたら、認知症かもしれないけど
桜の木陰で優しく微笑んでいる。

ママ友の一人が振り返ってワタシを見た。
目が「立ち止まってスミマセン、でも…」と
言っていた。
なので、ワタシも目で言い返した。
「わかってる。ゆっくり写真を撮ってもらおうよ」

知らない者同士が、無言で
老親子の記念撮影の様子を
じっと見守っている。
二度と訪れることのない宝石のようなひととき。
日本人って優しいなあ。
日本って、とてつもなく美しいなあ。
日本に生まれて良かったなあ。
そう思ったら、涙が落ちそうになった。

一週間の東京滞在から米子に帰ってみると
雨模様だけど、ちょうど満開。
これから花見の本番のようだ。
また美しい情景に出会えますように。