2017年3月31日金曜日

大正時代のお笑いブームは安来節がきっかけ


朝日町といえば、山陰最大級の飲み屋街。
そこに気になる看板があった。
「森山小路(もりやましょうじ)」という
小さな通りの由来を紹介している。

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森山氏は『親分』とも呼ばれ吉本興業と
組んで安来節を浅草名物にまでした。
稲田屋本店が営む『酒処稲田屋』は森山氏の旧宅。
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森山親分の屋敷前の通りだから
森山小路というのは分かった。
だけど、あのお笑いで有名な吉本興業と
関係があったとはオドロキ。
でも、浅学なワタシには
そのあとの文章が理解できない。

安来節が浅草名物だった?
どゆこと?

米子の隣町・安来の民謡&伝統芸能が
なんで浅草名物になったワケ?

事は大正時代にさかのぼる。
どうやら安来節というのは
お客さんをもてなす、お座敷宴会芸として
当時、相当ポテンシャルが高かったようだ。
どじょうすくいに代表される
ユーモラスなパフォーマンスと
集団で演じる陽気で派手な民謡。
今風に言うと、こんな面白いコンテンツを
山陰の片田舎に転がしておくのは
もったいない!中央でもきっと評判になる!
目を付けた興行師が、森山親分や
吉本興業だったということか。

いったん都会で紹介されると、
大阪や東京だけでなく
全国的なブームを巻き起こしたようだ。
安来節は客を呼び込む目玉演目として、
興行小屋からひっぱりだこになった。
出身地を詐称して演目をパクる輩も現れたというから、
当時の人気のほどが知れる。
どうりで、安来節が全国的に有名なわけだ。

現在は師範制度まである厳しい伝統芸能という
堅いイメージさえある。
なので、ちょっと想像しにくいが
実は、安来節が日本のお笑い文化を
育む母体となったという。
早い話、「漫才」は安来節が育てたらしい。
オドロキ。ホントかね?

漫才創生初期に大きな存在として、
一世を風靡した夫婦漫才の草分けにして
天才女流漫才師
ミス・ワカナ。
鳥取県出身で安来節が芸歴の始まりだそうな。

ミス・ワカナと玉松一郎

いや~、米子の飲み屋街で見かけた立て看板で
知られざる日本の芸能史を勉強してしまった。






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