一見、書類に見えるけど、これは地図。
東倉吉町の街角に掲示されている案内板だ。
罫線で区切られた表みたいに
超細長い建物が並んでいる。
通りから通りまでつながっている家は
なんと奥行き50メートル!
米子の中心市街地には、この地区に限らず
細長~い建物があちこちにある。
中には70メートル級の大物も存在するらしい。
これはなんと、400年前の町割りの名残りだそうな。
当時は間口の広さで課税されたため、
町人は節税のため、間口を狭くして
ひたすら奥行の深い家を作った。
いわゆる「鰻の寝床」様の
町屋が形成された。
もともとは京都で豊臣秀吉がおこなった
都市改造がはじまりなんだって。
京都を支配した秀吉は、平安京の正方形から、
南北に長い短冊形に町割りした。
遠く離れた米子も、京都の都市計画に習って
城下が形成されたということか。
じゃあ、たいしたことない?
いやいや、本家の京都は間口2間(3.6メートル)
奥行き10~12間(18~22メートル)が大半で、
米子の町屋みたいに、長大になるのは珍しいようだ。
しかも、京都は空襲被害を免れたので
昔からの町屋が残っているような印象があるけど
実は江戸時代、天明の大火で市街地の8割が焼失している。
幕末にも戦火で大規模な被害を受けているので
秀吉のころからの町屋はそう多くない。
米子は空襲被害だけでなく、大火事や大地震の
被害がほとんどなかったため
400年前の町屋の名残がある貴重な町だ。
細長いままリノベーションして
オシャレな飲食店、家具屋さん、
雑貨屋さん、洋服屋さんなど
様々な店舗に生まれ変わっている。
鰻の寝床って、良い意味で使うことはあんまりないけど
なが~いことは、長寿の象徴。
鰻の寝床、古い町屋の再生は
米子の宝だと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿