2016年5月17日火曜日

高校生とコラボ

米子白鳳高校にお邪魔して、特別授業という形で
紙芝居上演してきた。
白鳳高校の名前が示す通り、
白鳳時代の遺跡が学校のすぐ近所にあるのだ。

日本最古の仏教壁画が出土して、
当時は日本中の注目を集めた。
本日の紙芝居のテーマはそれ。
1300年前、なぜ山陰の片田舎に、
法隆寺と同時代の仏教画が存在したのか?
発掘以来20年以上たってもその謎は解けていない。

当時、中央政権と太いパイプのある有力者がいて、
この地にも最先端の寺院を建てさせたのだろうか。

それとも、ここ伯耆の国は都に匹敵するような
仏教文化の先進地域だったとか。

ゴロ画伯は、地元に残る伝承「玉清姫」に注目した。
地元の古文書「大山寺縁起」「朝妻縁起」に記載されている話だ。

13歳で親の代わりに都に賦役に上った、親孝行な娘。
都でミカドに見初められ、お妃になったという。


いくらなんでも、あんまりな成功物語。
だから、ただの作り話、おとぎ話のたぐい、
考古学的価値はないと、地元でもすっかり忘れ去られていた。

だけど、もしこの話がホントだとすれば、
謎が解けるとゴロ画伯は考えた。

玉清姫は「中央政権と太いパイプのある有力者」そのものだ。
当然、都にひけを取らない立派な寺院を
地元に建立させることだってできる。

そして、天皇に見初められた、というにわかに信じがたい話も
彼女が「都に匹敵する仏教文化の先進地域」からやってきた、
当時最先端モードの女性だったとすれば、
合点がいくではないか。

じっさい、当時の日本は仏教が伝わり始めたころで、
仏教先進国の唐や半島の国々で戦乱があいつぎ
滅ぼされた百済や高句麗から、海を越えて
難民が伯耆の国に押し寄せてきていた。
その中には寺院を作る富裕層や有力者もいて、
仏教文化を開花させたのだ。

言ってみたら、幕末の東京と横浜の関係みたいなもん。
西洋文化はまず、横浜に入って、そののち東京に運ばれた。
同じように、仏教文化は伯耆に入って、そののち都に伝わった。
しかも、横浜東京間よりも、はるかに距離があるので、
ミカドだって、伯耆から来た仏教最先端モードの
女の子には、強いあこがれを感じたかもしれない。

そういうことで、「玉の輿」の言葉の由来、
日本版シンデレラ物語「玉清姫」を白鳳高校で披露した。

今年の秋、彼らとコラボしてイベントをやろうという話が動き出した。
一緒に白鳳高校でプレゼンをした
淀江文化センター館長の藤原さんは
高校生がスイーツを考案して、イベントで配ってはどうか、
という企画を持ち込んだ。

さあ、どう展開していくことになるか、楽しみ!

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