先月、大山が日本遺産に選ばれた。登録名が「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」
そういわれてもねえ。他所の人はもちろん、地元でもどれだけピンとくる人がいるだろう。
肝心の牛馬市が絶えて久しいし、遺跡もほとんどない。それに地蔵信仰だって遠い存在だ。
とはいえ、地元には大山そのもの、大山の存在自体を、心のよりどころにして暮らしている人は多い。
「地震や台風、自然災害が少ないのは大山のおかげ」
「大山を見て、ああ帰ってきたとホッとする」と地元民は必ず言うからね。
つまり地元民は大山を親のように感じ、心の中では手を合わせているが、親だからこそ、なかなか態度
や行為に表すまではいかないのかもしれない。
そこで、ワタシは大山を遠くから拝む「大山遥拝運動」を地元米子から提唱したい。
地蔵信仰に限らず、大山は「大神山(おおがみやま)」と呼ばれ、古代から山自体が信仰対象だった。
おおがみやまは「拝み山」にもつながり、人々は暮らしの中で当たり前に大山に手を合わせていた。忙しい毎日を暮らし、信仰とは距離を取る現代人も、日常的に手を合わせるという習慣を持つことは、心に余裕と安心をもたらす効果がある。
だから今回、大山の日本遺産登録という良い機会を活かし、地域に伝わる先人たちの習慣を取り戻すことを始めようと思うのだ。
もし地元で生活の中、大山を遥拝するのが当たり前の風習になれば、その姿は他地域から訪れた人、特に海外からやってくる観光客に、計り知れない好印象をもたらすと思う。だって、日本を訪れた外国人が感動するのが、新幹線の車掌や車内販売員などが、車両に出入りするとき客に向かって一礼する姿だというじゃない。礼儀正しさ、謙虚な態度が胸を打つそうだ。大山遥拝は地域住民が、観光資源になる運動とも言えるかな。
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